
嫌われ女と好まれ女
異性からも同性からも嫌がられ、卑屈女はますます卑屈になっていく…。
卑屈な性格の女は、自分の可能性や未来に対して『諦め感』しか持っていません。このため、話の内容が自己否定的且つ暗いのが特徴で、聞いている側は憂鬱な気分にさせられます。
未来に希望を感じていない分、エネルギーもバイタリティも少なく、すぐに疲れて休みたがったり一人になりたがったりします。
男性からも女性からも「あんな女とは関わりたくない」と思われている、卑屈女の実態を見てみましょう。
卑屈女の口癖は「どうせ
」卑屈な女というのは、自分に対して何の期待も持っていません。
頑張れば伸びるかも知れない能力、磨けば光るかも知れない魅力というものに目を向ける前に、「どうせ私なんて無理」と諦めている女が卑屈な女です。
生きていくために仕事もするし、外に出るために最低限のメイクもしますが、「どうせ私なんて」という気持ちが全ての考えの中核になっているため、基本的にやる気がなさそうな印象しか感じられません。
人から褒められようと、励まされようと、卑屈な女はすぐに「どうせ」という言葉を使ってまわりの人の好意を覆してしまいます。
卑屈女の口癖のパターン
- 「どうせ私を好きになる男なんていない。」
- 「どうせ頑張ったところで、大して給料は上がらない。」
- 「私なんて、どうせいてもいなくても同じ。」
チャレンジ精神ゼロ
卑屈女は自己否定的であり、何かにチャレンジする前に「どうせ無理」という考えになりやすい特徴があります。
先に自分で自分を低く評価しているため、まわりからの評価を上げていこうという気力もありません。
職場でバリバリ残業をすることにも意欲は感じられないし、将来のために資格を取ることにも興味が沸かない…。
チャレンジ精神が極めて低いというのが、卑屈な女の特徴です。
チャレンジする気が起こらないのは、仕事や勉強ばかりではありません。
女友達から誘いが来る女子会的なもの、素敵な男性と出会えるかも知れないコンパ、旧知の友と再会できる同窓会など、プライベートなことに対しても意欲的になることはほとんどありません。
まわりの友達からごり押しで「おいでよ」と誘われれば、飲み会などに顔を出すこともあります。
但し、参加してみたところで自己否定的な話をするだけのことですので、人との出会いがプラスに働くことはありません。
まして、男性が卑屈女を気に入ることはありませんので、恋が始まって生き生きした毎日に変わるということもありません。
卑屈な態度で人と接しても、得られるメリットなど何もないということです。
結局はまわりに対しても否定的な考えを持っている
卑屈な性格の人というのは、自己否定的という特徴があります。
しかし、心の奥底にはまわりに対する否定的な感情も持っています。
自分だけでなく、まわりの人たちにも何も期待していないから、「どうせ」という投げやりな言葉が出てくるんですね。
「どうせ私を好きになる男なんていない」という言葉には、自分を選んでくれない男性に対する否定感が感じられます。
「頑張ったところで給料なんて大して上がらない」という言葉の裏には、職場や職場の人たちは私を評価してくれないという否定的な気持ちが感じられます。
卑屈な女とは、自分の能力のなさや魅力のなさをアピールしつつ、自分がこんな女になったのは社会のせいとか家庭環境のせいなど、まわりのせいだという気持ちを持っているのです。
「私なんて馬鹿だし」「私なんてブスだし」「どうせ暗いし」「友達らしい友達なんていないし」などなど、言葉の表面上では自分を責めているだけのように見えますが、結局のところは同時にまわりを責めているということですね。
だから「卑屈」だと言われるのです。
自己否定的=卑屈という意味ではない
自分に対し否定的な女性というのは、他にも沢山います。
ネガティブ発言オンパレードの女性というのも珍しい存在ではありませんね。
ネガティブな発言とは、たとえば「私は全然男に縁がない…」「何をやっても上手くいかない…」「自分に自信がない…」というような発言です。
こういった発言をする女性は世の中に少なくはありません。
でも、そういう女性たち皆が卑屈な女に見えるかというと、決してそんなことはありませんよね。
卑屈な女と言われるのは、自分にネガティブな上に態度が投げやりな女です。
何かにチャレンジすることや自分を磨く努力から逃げるために、「どうせ」という言葉を便利に使う女が卑屈な女なのです。
仕事や勉強に対しても「どうせ」という考えで臨み、交友関係に対しても「どうせ」という気持ちで臨む。
まわりに対しても自分に対しても「どうせ」という諦めの一言で片づけてしまう…。
卑屈女というのは、自分の人生に果敢にチャレンジすることに手を抜いているだけの『ズボラな女』だといえるのではないでしょうか。