30代で起業した経緯。「BUMP OF CHICKEN -弱者の反撃- 」

(注:今回のブログは言葉遣いの悪い箇所がございます。予めご了承頂けますと幸いです)

今まで会社を始めてからの事をお話しましたが、

今日は

「30代で起業することになった経緯」

をお話したいと思います。

 

 

起業や独立、こんな言葉を聞くと

「強い志」

「世の中を良くする新たなものを提供」

こんなポジティブなイメージを持たれる方も多いと思いますが、僕は全く違います。

それは、

 

 

ある日、突然「クビ」になったから。

 

 

以前のブログ、

「勘違いで生きてきた人生」20代でプライドをへし折られました。

でもお話してますが、18才で美容院に就職して5年経ち、そこから1.2年色んなアルバイトをしてました。

例えば、鏡餅の製造工場。

白い作業服に身を包み、帽子を被りマスクを着けて、見えてる箇所は「ぱっちり一重のタレ目」だけ。

薄っぺらい3段の鏡餅の容器を逆さに持って、上から落ちてくるアツアツのお餅をひたすら8時間受け止め続ける。

 

 

出勤してから退勤するまで誰とも話さず帰宅する。(ヒロシです。)

同じ作業を黙々と繰り返す。でも、これが全く苦にならない。(ヒロシです。)

本来の性格は超絶陰キャ。(ヒロシです。)

視力は2.0なのに、未来が全く見えません。

ヒロシです。ヒロシです。ヒロシです・・・。

(※内容はネタではなく事実です)

 

 

こんな生活を続ける中で、一つの大きな転機が訪れます。

友人5人と会社を始める。

(オーナーは別で1人いましたが会社には全く来ません)

 

 

大阪・心斎橋の雑居ビル。

6畳ほどの小さな部屋に、男6人がぎゅうぎゅう詰め。

最初はボロボロ事務所の大掃除から始めました。

お金もないのでビルの倉庫で埃まみれで山積みになっていた机と椅子をお借りして、隙間が空いてるガタガタの木造床ではキャスターなんて機能しない。

廊下に電気はなく、夜トイレにいく時は暗闇の中を手探りで行く、ねずみやゴキなんて当たり前。そんな環境で1日、15.6時間。

寝る間を惜しんで仕事をして、4年で年商25億。

1Fには超高級ブランドが入ってる御堂筋沿いの綺麗なビルにも移転して、全ての事業を合わせると従業員も150名ほどになっていたと思います。

 

 

順調に進んでいましたが、会社の方針で分社化することに。

僕は新たにできた子会社の現場責任者になりました。

そこへやってきたのは、肩書だけの雇われ社長。

最初の数か月はお互い様子を見ながら上手くやってましたが、たまに会社に来ると

「全従業員の給料は、お前の事業で支払ってる。」

「売上が下がったら・・・」

こんなプレッシャーだけかけてくるようになりました。

 

 

「うるせぇ」

「売上作れねぇ奴が偉そうな事だけ言ってんじゃねーよ」

(ヒロシです。)

※すみません。ヒロシを使うタイミング間違えました。

こんな風に内心思いながらも、全員の給料・生活を考えると重圧に押し潰されそうになってました。

でも、一緒に過ごす後輩や、分社化したとは言えグループ会社として一緒に頑張ってる初期メンバー。

そんな仲間の事を考えると、理不尽に感じたりストレスはあっても売上を上げ続けなければならない。

覚悟を決めて、社長にも意見するようになりました。

 

 

なぜなら、決裁権を持ってるのは社長のみ。

売上を伸ばすための新たな投資、お金の使い道を決めるのは、いくら雇われであったとしても社長にしかできないからです。

事業を大きくするためのプレゼンを何度も何度も行って、何度も何度も断られ・・・

「事業を理解しようともしてない奴に、何で決裁権があるんだ?」

「こんなんじゃ上がる売上も上がらねーわ」

(ヒロシです。)

※あ!また間違えました。すみません。

こんな思いがどんどん膨らみ、気づけば意見する。ではなく噛み付くようになってました。

 

 

そんな関係が1年ほど続いたある日、

「来期の会社の方針を話したい。」

と、呼び出され行ってみると・・・

 

 

新たな組織体制に、僕の名前はなかったのです。

 

 

「クビって事かぁ。」

「このクソ野郎。」

と、心の中で思いながら、でももう言い争いはしたくはなかったので

「会社、辞めます。」

とだけ伝え、1か月ほど後輩に引き継ぎ作業をした後に退職しました。

 

 

30代になっていて、資格も特別な知識も何もない。

就職活動しようか、

またフリーターに戻るか、

それともヒロシになるか・・・

色んな事を考え考え考えましたが、

 

 

「クビにしたあの野郎を絶対後悔させてやる」

「あの野郎を将来絶対見返してやる」

 

 

この思いが僕の中で消えることがなかったので、起業を決意。

2012年7月~放送された月9ドラマ

「リッチマン、プアウーマン」の日向 徹

「その反骨心は良い。」

「世界を変えた人間に共通するのは反骨心だ。」

「その噛みついてくる感じは悪くないな。」

この言葉にも勇気づけられました。

 

 

そして1.2年が経ち、当時の仲間から

「あの会社、潰れました。」

との報告が入りました。

社長以外は他のグループ会社で雇用されることも聞き、安心と同時に

「あの野郎、ざまあみろ!」(ヒロシです!)

「逃がした魚はデカすぎたんだよ!」(ヒロシです!)

ヒロシです!ヒロシです!ヒロシです!!!!!

こんな気持ちになりました。

 

 

でも、そこから更に数年経ち感じたこと。

「あの時クビにしてくれて本当に良かった」

綺麗事ではなく、今でも純粋に思っています。

 

 

振り返って思い出してみると、

いくら会社・従業員のため、と思っていても当時の僕の言動も悪かった。もう少し上手くやれたかもしれない。

相手のせいにし続けてると、恨みのような気持ちはいつまで経っても消えることはない。

人への攻撃的な感情は、正直疲れる。

そんな気持ちに囚われるより、「自分の非も認める」ことで人として成長でき、過去と決別できる自分になれる。

 

 

あの悔しい気持ち、反骨心があったから頑張れた。

あの時、新たな一歩を踏み出せたことで色んな経験ができた。

そして何より

当店のチャットレディの皆様やスタッフたち、グループ店の皆様、お取引先の皆様とも縁あって一緒にお仕事できている。

あの時辞めていなければ、今こんなに沢山の仲間と一緒に過ごせていないし、出会うことすらなかったはず。

 

 

こんな気持ちが時間の経過と共に僕の中に込みあげてきて、

当時の恨みのような気持ちは自然と消えていきました。

今、こんな風に思えるようになったのも、僕と関りを持って一緒に励んで下さる周りの皆様のお陰です。

いつもありがとうございます!

 

 

今回のブログもご覧頂きありがとうございました。

口調が汚く気分を悪くされた方もおられたかもしれませんが、当時のありのままの感情を綴りました。

ご理解頂けると幸いです。