離婚しました。

令和でも語り継ぎたい、伝説の離婚会見。

「ラッキー、ラッキー、ラッコだコンコンコンー!」

「離婚はコンコン、くるくるパー!!」

「離婚はコンコン、さ・よ・う・な・ら」

 

 

妖怪ウォッチの『ようかい体操』やAKB48の37枚目シングル『心のプラカード』などの振付を手掛けた

ラッキィ池田氏が、ゾウさんのジョウロを頭に付けて、離婚会見で歌って踊りスベり倒してました。

(覚えてねーよ!古すぎて知らねーよ!)

と、思われた方はすみません。(。>ㅅ<。)ゴメンネ

 

 

僕も離婚を経験したバツイチ40代です。

結婚や離婚は人生における大きな転機。

学ぶものは多かったです。

「始まり」よりも、「終わり」の方が100倍大変。

 

 

以前のブログ、30代で起業した経緯。「BUMP OF CHICKEN -弱者の反撃- 」でもお話していますが、

20代半ばで友人数名と会社を始めました。

その頃にお付き合いしていた彼女と結婚。

結婚生活を始め、1年で別居。

更に1年後には離婚。

と、アッという間に幕を閉じた結婚生活。

 

 

よくある「すれ違い」や「コミュニケーション不足」。

会社を始めたばかりだったので、結婚してからも1日12時間以上は仕事の生活。

家にいる時間も少なく、気づけば次第に会話が減っていきました。

 

 

当時の僕の考えは間違っていたかもしれませんが

価値観の違いや考えの相違は相手あっての事なので、解決するにはお互いの歩み寄りが必要。

でも、

お金の悩みは、お金があれば解決する。

僕の力次第で、夫婦間でお金が原因での喧嘩は回避できる。

もしも、将来家族が増えた時の安心材料にも繋がり、色んな事に対して選択肢も増やせる。

社会人になってから最初で最後、髭を全て剃り、相手の両親に結婚の挨拶をして、男としての覚悟も決め

「幸せと感じてもらえるようにしたい」

「不安を感じずに生活してほしい」

「相手のご家族にも安心して見守って頂けるようにしたい」

そんな風に思えば思うほど、ありさえすれば解決できる金銭的な苦労だけは絶対にさせたくない!!

この思いが強くなりました。

今思えば独りよがりですね。

 

 

2人にとっての将来の安心を手にするために仕事に打ち込み、それが相手にとっても絶対にプラスだと勝手に信じてました。

今は大変だけど、会社が軌道に乗ったら時間にも余裕ができる。

そう思ってました。

でも、1年ほど経って少しずつ金銭的にも時間的にも余裕が出てきて、やっと…と言うタイミングで

「一緒にいてもつまらない。」

「相手を思ってしてる事でも、相手が望んでいなければ、それはただの自己満足。」

(一生のトラウマ。笑)

そう言われた日から数か月間、相手は家に帰って来なくなりました。

 

 

久々に家に帰ってきたと思ったら「別居したい」と言い出され、

全く納得はしてませんでしたが、家を出るのはなぜか僕。

 

 

相手が住んでるマンションの家賃も光熱費も携帯代も全て僕が支払い、それでも

「生活費が足りない!足りない!」

と、よくわからない理由を並べられ、そこから更に生活費を渡す生活。

お給料日には毎月生活費を渡しに行きましたが、僕の家でもあるはずなのに、中にも入れてもらえずポストにお金の入った封筒をそっと入れて帰宅する。

郵便局員さんと同じく、もちろん建物の外からポストに入れる。(自分の家なのに・・・)

僕からの仕送りで生活し、余ったお金と相手の稼ぎは全て相手のお小遣い。

相手の事、そして相手の家族の事を思うと、結婚した以上何があっても責任は果たしたい。

どんなに理不尽な事を言われても、どれだけ酷い言葉をぶつけられても、この思いだけでがむしゃらでした。

 

 

出ていく事になった僕は、4畳半のボロボロのアパートで一人暮らし。

あるのはせんべい布団1枚だけ。

薄い壁の向こう側、隣の部屋や廊下からどこの国の言語かわからない言葉が聞こえてくる。

アパートの入り口には「不審者注意!」の張り紙だらけ。

国籍が分からないような人ばかり住んでるアパートで、カップ麺を啜る生活。

休日はコインランドリーで、ボーーっと一人で過ごしてました。

あ、僕も不審者だったのかもしれません。

 

 

心配はかけたくない。

そう思うと家族にも友人にも誰にも相談できず、

「何でこんな思いをしなければならないんだ」

「何のために頑張って仕事してるんだ」

こんな風に思いながら、仕事から帰ると四畳半の部屋で一人、苦しくて毎日泣いてました。

 

 

「また元に戻れるために別居して距離を置きたい」

「でも、家は出て行ってほしい」

と、言われて始めた別居生活。(今思えば意味不明)

 

 

「また仲良く暮らせるんじゃないか」

「結婚した以上、僕にできる事があるなら最後まで責任を果たしたい」

こんな期待や思いで耐え続けていましたが、家賃、光熱費、携帯代、生活費、全て2人分支払う生活。

意味不明ですが、ゴリ押しされて相手の奨学金の返済も僕がしてました。

もちろんお給料だけではやっていく事もできず、2人の将来のため。と思って貯めてきた貯金も切り崩し、遂に底をつきました。

 

 

「もうこれ以上続けられない」

そう思い、離婚を決意。

 

 

最初のブログ、全財産150万円でチャトレ事務所開業。スタート初月で地獄を見た。でお話してますが、

開業当初、殆どお金がなかった一番の理由はコレ!です。笑

 

 

別居してた期間にそれぞれが暮らしてた住居は引き払い、新たなマンションを契約。

引っ越しにまたお金がかかる。どうしよう。

でも、思い出したくない。

過ぎた事に引っ張られたくない。

新規一転、新たな生活を始めるために、新たな場所で一人暮らしを始めました。

 

 

とは言っても、

「僕にも悪かった所はあったと思う。でも、ここまで攻撃的な言葉を浴びせ続けられるような事、何かしたのか?」

「こんなはずじゃなかった。」

このような気持ちがずっと僕の中にあって、仕事には行っていましたが引きこもり生活です。

ため息ばかり。

心配してくれる友達が遊びやコンパに折角誘ってくれてるのに、いつも断る。

感謝しかありませんが、いくら環境は新たになっても気持ちがついてこなかった。

 

 

しかし、2年ほどそんな生活を続ける中で、自然と気持ちが晴れていきます。

張り詰めてた気持ちが緩み、スーーーっと波が引いていく感じ。

「時薬」この言葉の意味を、人生で初めて感じたタイミングでもありました。

離婚を経験して一番学んだこと。

 

 

【頭にジョウロは付けてはいけない】

 

 

あ、間違えました。

 

 

【誤った判断・選択をしたのは自分自身】

 

 

「結婚しようと決めたのも自分。」

「結婚相手を選んだのも自分。」

もの凄く失礼な言い方になるかもしれませんが、

「選んだ相手が悪かった。見る目が無かった。あの時の自分の全ての判断が間違っていた。」

こんな風に考えるようになってから、穏やかな気持ちになっていき、気づけば前を向いて生活できるようになってました。

もちろん結婚生活での僕の行いにも改めるべき点はあったのは理解しています。

 

 

離婚はやっぱり僕の中では大きな出来事。

その分、当時感じたこの気持ちは今の自分にも強く残っていて、仕事やプライベートにも活きています。

仕事では失敗ばかり。

思い通りにいかない事ばかり。

でも、そんな時に人のせいにしたり、環境や状況のせいにしたりするのではなく

「自分が判断した事、選択したことが間違っていた。」

こんな風に例えどんな小さな事でも反省すると、自分以外の事に原因を見出そうとせず、すぐにまたチャレンジすることができています。

 

 

それだけでなく、

人のちょっとした言葉、発言にも耳を傾ける。聞き逃さないでいよう。

普段との表情や雰囲気の違いにも気づけるようになろう。

相手に寄り添える自分になる。そのためには時間にも気持ちにも余裕のある自分になろう。

こんな学びにもなりました。

 

 

こう思えるようになっただけでも、当時の自分に比べると、少しは成長できたかな?と思ってます。

いつの日か、誰かとお付き合いしたり再婚するような事があったなら、

その時は、ばっちり頭にゾウさんジョウロを括り付け、盛大に発表させて頂きたいです!