何かを「得る」には何かを「犠牲」にしなければならない。最初から全てを手に入れるなんて不可能

人間の欲求には限りがありません。

但し人生には限りがあります。

どこまでやりたいことや欲しいものを追求するかは個人の自由ですが、必ず「生きている間に」という期限が付いて回ります。

自分の一生という時間の括りを、長いと捉えるか短いと捉えるか。

これも個人によって差があります。

また、実現したいことの種類によっては、「一生のうちに」なんて悠長なことを言っていられないケースもあります。

あれもこれも全て、面白いほど手に入れられる人は稀です。

何を手に入れたいかのレベルにもよりますが、得たいと思うものが大きくなればなるほど、他のものを犠牲にしなければ手に入れるのが難しいケースは多いと私は考えます。





年齢制限付きの自己実現

何かを成し遂げるにあたって、焦りは禁物。

とはいえ時間が刻々と流れているのは事実です。

焦るのはダメだけど、呑気に構えてもダメ…ということになりますね。

手に入れたいもの。

チャレンジしてみたいと思うこと。

自分の理想像。

それらを人生の中にまんべんなく並べて目標にできるのなら、多くのことは実現できるのかも知れません。

しかし何かを手に入れるために何かを犠牲にすることが余儀なくされるのは、「若いうちにしかできないこと」というものが意外に多く存在するからです。





短い現役時代

人生において手に入れたいものには、それぞれに期限があります。

中高年になってからでも充分実現できることもあれば、若いうちじゃないと実現が難しいこともあります。

チャレンジしたいもの、手に入れたいもの、行ってみたい場所などを頭の中から全部アウトプットしてみると、「期限短め」の事柄がいくつもあるということに気づかされるかと思います。

仮に「語学を学びたい。そのために留学もしたい」という希望があった場合、あなたなら何歳頃をメドに期限を設定するでしょうか?

「頭が柔らかくて勢いがある二十代に」と期限決めをしたとすれば、それを実現するために着手する時期の設定はさらに前倒しになります。

・いつから貯金を開始する?

・留学に向けて、事前に語学学校にも通うべき?

・海外に行くとなれば、今の仕事はどうすればいい?休職それとも退職…?

やりたいことを1つ具体的に掘り下げて考えるだけでも、「思ったより時間が短い」ことや「実現に向けてやることが一杯ある」ということに気づかされます。

二十代が延々と続くことは勿論ないし、三十代になれば急に暇ができるということもありません。

人生を長いと捉えることはできたとしても、現役時代は短いのです。

何も犠牲にせずに突き進めば、手に入れる前にタイムリミットが来てしまう…。

そんな事例が世間にはたくさんあると思います。





気がつけば仕事に追われるだけの日々

学校を卒業すれば、ほとんどの人は「働く」ことが生活の軸になります。

裕福な家に生まれ、且つ親が自由主義で好きなようにやらせてくれるという環境が整っていない限り、仕事をすることで生活基盤を成り立たせるしかないからです。

自己実現が「仕事そのもの」にある人は、今の仕事に邁進することで多くの欲求が満たされていくことでしょう。

しかし、仕事だけでなくそれ以外のフィールドにやりたいことが散在しているタイプの人は、どうすれば仕事と私生活のバランスを取るべきかで、大抵は悩むこととなります。

そしてよくありがちなパターンがこれ。

・そうは言っても会社は簡単に辞められないし…。

・こんなに忙しいんじゃ、有給休暇を取りたいとさえ言い出しにくい…。

・やっぱり私は仕事から逃げられないのかも。

・でもせめて、頑張った自分にご褒美ぐらいはしたいな。

自分が本当に手に入れたいはずのものを犠牲にし、「ご褒美」という耳障りの良いお手頃なものを手に入れる。

そしてそんな自分の選択を「これで良し」と思い込もうとする。

何を犠牲にするかはその人の判断に委ねられます。

本当にやりたかったことを犠牲にし、手頃なものを手に入れるというのも、一つの生き方です。

誰かに咎められることはありません。

但し、基本的に人生というのは「誰が」どう思うかではなく、「自分自身」が本当にこれで良いと思えるか否かで満足の度合いが決定づけられると思います。

心の奥底にある自分の声が、「本当にこんなことでいいの?」と自分を咎めてくる可能性は大いにあります。





「手に入れるもの」と「犠牲にするもの」の取捨選択

大きな目標を1つか2つに絞り、それを徹底的に追及する人生を送りたい。

あるいは、あれもこれも手に入れたい。

こんなこともしたいし、色々チャレンジしたい。

自分の人生を賭けたいものというのは、人によって実に様々です。

でも必ず全員が迫られることになるのが、「何を優先的に手に入れるのか」ということと、そのために「何を犠牲にするのか」の取捨選択だと思います。

何も犠牲にしなくても手に入れられるものもありますが、時間的理由や金銭的理由によってどうしても何かを犠牲にせざるを得ないものもあります。

この決断なしに、自己実現を可能にしていくのは到底難しいと思います。





親不孝をする覚悟

今の仕事で徹底的に出世したい。

転勤するかも知れない。

海外赴任するかも知れない。

自分は将来的には田舎暮らしがしてみたい。

人生を設計していく上では、時間や金銭だけでなく、もう一つ「物理的な距離の問題」が派生してくることがよくあります。

自分らしく生きるためには、どうしても生まれ育った故郷を犠牲にしなければならない…。

そんなケースがたくさん存在します。

その際、多くの人が胸を痛めるのが親の問題です。

自分が幸せになるために、親から数百キロも数千キロも離れてしまっていいのだろうかということで悩む人はたくさんいます。

数ある犠牲の中でも、家族を犠牲にすることほど、胸が痛いことはないですね。

しかし、それでも自分の夢に対して熱い思いがあるならば、親不孝をする覚悟をする生き方も有りだということを最後に申し伝えたいと思います。

何故ならば、親不孝だと感じているのはこちら側だけで、親というのは親不孝だと認識しないことが多いからです。

全ての親は、子供が生まれた瞬間から「成長」を願い続けて育てていきます。

「這えば立て、立てば歩めの親心」という諺に代表されるように、子供が自分の夢に向かって前進していくことは、親にとっても喜びです。

また、全ての子供は生まれてから3歳になるまでに、一生ぶんの親孝行を終えるという考え方もあります。

赤ちゃんのときから3歳までの可愛かった時期に、あなたは充分すぎるほど親に幸せを与えたという考えですね?

「誰かに咎められるかも知れない。」

「会社に迷惑をかけるなんて…」

「親不孝になるかも知れない。」

そのような発想を逃げ道にせず、ただ一度の人生を思い通りに進んでいけるといいですね。

自分を犠牲にしてしまっては、あまりにも残念すぎますから…。


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