
代表の独り言
遠回りが実は一番の近道。遠回りは、良い経験を積んでいると考えるのが賢明。
人には誰しも、やりたいことや自分の生き方に没頭したいという欲求があると思います。特に「これだ」と思うものに出会えた人は、他のことをしている時間が無駄に思えることもあるのでは無いでしょうか?
しかしながら一方で、「若いときの苦労は買ってでもせよ」とか「可愛い子には旅をさせよ」「急がば回れ」など、あえて遠回りすることの重要性を示唆する言葉もあります。
この有名な3つの言葉が言わんとしていることは、人が大きく成長するには様々な経験を積むことが必要だということでしょう。
そう考えると遠回りイコール無駄だと結論づけてしまうのは、いささか短絡的かも知れません。
「いつかはこんな自分になりたい」という強い意志さえ失くさなければ、遠回りという経験によって近道が拓ける可能性もあると思うのです。
今回は「遠回りは実は一番の近道になり得る」という、私なりの見解をお伝えしていきたいと思います。
スキルを磨くだけでは成功は難しい
やりたいことが明確にあると、それに精一杯打ち込むための時間が欲しくなりますね。
他のことを考えずに好きなことができる人が羨しく思え、雑務に追われている自分が惨めに思えることもあります。
確かに一つのことに徹底的に取り組むことができる人は、スキルを磨くのには有利だといえます。
ギターが上手くなりたいという目標を例にして考えてみると、1日のほとんどを練習に費やせる人と、仕事を終えてからの数時間しか練習ができない人とでは、前者の方がスキルはアップしやすいはずです。
しかし、「自分のやりたいことに専念する」「他のことは考えない」という条件が整っている人だけが能力を伸ばし、他のことに追われている人は能力が伸び悩むのかというと必ずしもそうではないと私は思います。
あえて遠回りをすることが成功への近道になる
オリンピックを目指しているようなアスリートと呼ばれる人たちは、多くの時間を練習に費やしますが、「自分の技術に新しいものを加えるために」あるいは「頭打ちになっている自分を何とかするために」「スランプを脱するために」などの理由で、あえて今までとは違うルートに寄り道をすることがあります。
新しい監督を見つけて一から信頼関係を築き直したり、海外のチームに入って修行をしたり、中には全く違うスポーツを取り入れる人も存在します。
第一線から離れ、今までと違う方向に突き進むのにはとても勇気が要ります。
しかし、遠回りという方法を選べば、今までとは違う経験が得られることは間違いありません。
遠回りから得たかけがえのない経験によって急成長する可能性があるのなら、遠回りというのは実は一番の近道だと捉えることもできるのではないでしょうか。
「経験の幅」は「人間の幅」につながる
アスリートという特異な立場の人はさておき、一般人の大多数はやりたいことに没頭する時間がなかなか持てないのが普通ですね。
仕事もあるし人との付き合いもあるし、通勤に時間が取られる人もいるでしょう。
色んなことに追われていると、自分らしい生き方から遠ざかっているようで焦りを感じることもあるかと思います。
そんなときは他の人に目を向けると視野が開けてきます。
自分のやりたいことと全く関係ないことに追われながらも、夢を実現させていった人は世の中に沢山います。
そういう人たちに目を向けてみると、今自分が置かれている立場というものが客観視できます。
たとえば、学業に打ち込みたいのに生活費を稼ぐためにアルバイトに追われる苦学生。
地方回りなど、長い下積み時代を経てきた芸人。
日の目を浴びるまでに時間がかかった俳優など…。
やりたいことに自由に没頭してスキルだけ磨いてきた人と、様々な経験を積んできた人では、「人間の幅」というものが全く違ってきます。
本来自分がやりたいこととは別のものを背負い、遠回りという苦労の道を歩いてきた人たちには皆、他を圧倒するような力強さがあります。
色んな経験を積んできた人の言葉には重みもあるため、説得力もありますね。
限られた時間と集中力
家族などの援助により、好きなことを好きなだけやれる身分の人。
自分の生き方ややりたいことを追求したいのに、遠回りせざるを得ない人。
両者を比べたとき、大きな違いがもう一つあります。
それは取り組むときの集中力です。
いつも好きなことに取り組めるという立場にいると、1分1秒を惜しんで集中するというのが難しくなります。「いつでもできる」という時間の余裕が、「今日じゃなくても明日でもいい」というような気の緩みを生み出すからです。
反対に他のことに追われている立場の人にとっては、自分がやりたいことに向かえる時間はとても貴重です。
やっとの思いで時間を作っている人というのは、絶対に時間を無駄にしたくないという思いが強くとことん集中します。
時間が限られているという意識があるからこそ、本気度が下がらない。
これも遠回り人生を歩んだ人たちだからこそ得られる人間的魅力といえると私は思います。